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             木 村 尚 樹 
         NAOKI  KIMURA
         fine photographic arts
           since 1987

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Ⅰ. なぜ、その瞬間だったのか

Essay 001 写真は気づきから始まる


一日は、無数の光景を抱えながら流れていく。

街を歩けば、光は絶えず移り、影は形を変え、眼の前にあるものは一瞬ごとに少しずつ姿を変えている。そのほとんどを、人は歩きながら通り過ぎていく。

その流れの中で、ふと足が止まることがある。

なぜ、その瞬間だったのか。

構図や光の美しさ、あるいは偶然眼にした出来事。あとから振り返れば、理由として挙げられるものはいくつもある。けれど、足が止まったその時には、まだ理由が言葉になっていないことがある。

同じ場所を幾度も通り過ぎてきた。壁も、窓も、路面も、昨日までそこにあったものと大きく変わってはいない。それでもある日、見慣れていたはずの一角が、それまでとは少し違う仕方で眼に届く。

光の角度が変わったのかもしれない。影の位置が動いたのかもしれない。あるいは、見ている側が昨日とは少し違っていたのかもしれない。

そのどれか一つを、すぐに決める必要はない。

起きていることは、何かを探し当てたというより、広く見えていた光景の中から、一部だけがそれまでとは違う重さを持ち始めることに近い。視線が戻り、もう一度そこを視る。その時になって初めて、先ほどまで通り過ぎようとしていたものが、意識の中へ入ってくる。

これを、気づきと呼んでよいのだと思う。

気づいたからといって、必ず写真になるわけではない。しばらく視たあと、そのまま歩き出すこともある。写真機を構えてみて、最初に感じたものが消えてしまうこともある。そこからさらに視続けるうちに、写真へ向かう動きが具体になっていくこともある。

気づきは、写真を保証しない。

ただ、その瞬間、それまで流れていた時間の受け取り方が変わる。通り過ぎていたものをもう一度視て、そこにあるものとの関わりを確かめる時間が始まる。

長く写真を続けていると、こうした変化を以前より早く受け取ることもある。経験が眼を助け、わずかな光の変化や形の重なりに気づかせる。その一方で、経験は過去に撮った像も連れてくる。以前うまくいった写真の記憶が、眼の前にあるものより先に答えを出そうとすることもある。

写道の実践は、気づいたその先へ続いていく。

気づいたあとに待つことがある。もう一歩近づくこともあれば、そこから動かないこともある。写真機を構え、シャッターを切ることもある。そのまま見送り、何も撮らずに帰ることもある。

写道は、そのどれか一つを正しい行為として選ぶためのものではない。視て、感じ、待ち、決め、ときには手を動かさない。写真と関わる中で繰り返されてきた、そうした実践全体の中にある。

無数の時間の中で、ある一瞬だけが違って届く。

なぜ、その瞬間だったのか。

その答えが、撮る前から用意されているとは限らない。写真になったあとでさえ、すべてを言葉にできるわけではない。その問いは、次に世界を視るときまで持ち越される。

そしてまた、歩く。

木 村 尚 樹

fine art photography

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