NAOKI KIMURA
photographic arts
零式と写道
命題――美しいは本能である。
零式(Zero-horizon)は、それを情緒としてではなく、
形へと熟すための規律として受けとめる。
言葉で飾ることをやめ、
世界そのものの言い回しに耳を澄ますとき、
写真は「伝達」でも「美術品」でもなくなる。
それは、光が語り、陰が呼応する――
ひとつの呼吸である。
この理解の先に、ひとつの道があらわれる。
それが、ここで言う「写道(Shadō)」である。
もし零式が「見ることの地平」を定義する哲学であるなら、
写道はその思想を行いに変える作法である。
見ることを、立つことへ。
感じることを、受けとる姿勢へ。
光が私たちに託すものを、
余計な操作なく、ためらいなく受けとめるための「道」。
写道において、この呼吸は行いとなる。
――世界の声を覆わぬよう減ずる。
――沈黙の厚みが生まれるよう連ねる。
――鑑賞者が教えられずとも感じ取れるように呈する。
写真家の仕事とは、意味を語ることではなく、
意味が自然に到来するための場を整えることにある。
欧米の系譜が築いた美術の制度のなかで、
日本発の視点は特例ではない。
それは、ひとつの方法の提示である――
土壌から立ち上がる普遍の言語。
零式(Zero-horizon)はその方法であり、
誇張ではなく、慎密で、
スローガンではなく作法として伝達できるものである。
「美しい」と言うことが幼く聞こえるなら、
その幼さを、私たちは恐れない。
始まりはつねに青く、
成熟とは弁解なくそこへ還る勇気である。
撮るという行為は、
世界が私たちを通してひと呼吸することを許す営みだ。
その静かな往還こそが、
視と沈黙がひとつに融け合う零の地平である。
©Naoki Kimura
